副題に「なぜ人は聖地をめざすのか」とある。この本を読んでイメージが繋がってきたことに、古来より「旅」と「聖地」は不可分に結びついていたということ。ヒトは意識するにしろ、しないにしろ、「聖地」に引き寄せられるように旅をする存在だ。まるで、プログラムされているかのように。宗教を問わず世界各地で行われる大規模な「巡礼」、日本でも「お伊勢参り」や「遍路」などの風習がある。もしかすると、「初詣」なども、形を変えてはいるが、「聖地とおぼしき場所」へ無意識にひっぱられているかのようでもある。
そして「聖地」は、「石」が目印になっている。古来よりヒトが、「石にたいして抱いていた思い」とはなんなのだろう。各地に残る、ピラミッドその他の「石」でできた遺跡。「聖地はわずか1cmたりとも場所を移動しない」という定義をもとにすれば、エルサレムに各宗が重なるのも納得できる。「聖地」は重層的であり、そこに堆積する膨大な記憶。そして聖地は、それらを結ぶ(世界的?)ネットワークを形成していた。考えていくときりがない。この本は、なかなか示唆に富む、想像力を刺激してくれる好著である。夢想は尽きない。
チャプターワールド ル・ピュイのサン・ミシェル・デギュイユ礼拝堂
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