ポール・ヒーディングの“ティンカーズ”を読む。はじめこの小説が面白くないのは、私が日本語で読み、作者の英語の魅力を活かしきれていないからではないかと思っていた。実際に、私は、先週の日経の文化欄の四元氏の“色は匂へど”の文章の中の“原語の音の響きを味わう。一般的な傾向として、叙情詩よりも物語的な詩の方が聴衆には伝わりやすい。———”との言葉を頼りに面白くなくとも致し方ないと諦めていたのである。
私は、ヘミングウェイの小説を何度読んでも面白く感じたことがない。単文で美しいといわれるヘミングウェイが面白くないものも英語の力がないためであると思われる。だからといって日本語がうまいかというとどうなのであろうか?決してほめられたものではないと思う。(この文章だって普通だ)人を感動させる文章とは、どこに存在しているのであろうか?
そこでやはり登場するのは、共同幻想(吉本隆明氏の意味合いと少しずれている?)ではないのであろうか?人には“愛”“優しさ”美しさ“悲しさ”と感情が存在する。その意味は人それぞれ多少にずれ、人と時間の関係(タイミング)でとらえられ方は違うのだろうが、共有することはできる。その共有を感動というのではないだろうか。そのもとにあるのは、人と人の繋がり。親と子の繋がり。そんな関係を績むぎだすのが“Tinker”(修理屋)なのかもしれない。
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