アニメである。そして日本のアニメは面白い。
未来の世の中がどのようになるのかわからないが、確実にIT技術が使われ、今の生活のスタイルが大きく変わるのは、誰でも想像できると思う。それが、現代版、ショーベンターのいうイノベーションであり、人々の生産性を斜め上に押し上げるのである。そこには、ラカンのいう監獄の世の中が存在するのかもしれないが、その監視された世界の中で人はルールに則り生きるのなら、結構過ごしやすいのかもしれない。その価値観は人によりとらえられ方が違い、もちろん私達は、すでに、知らず知らずに監視された世の中にいきているのであるのだ。
そんな監視、管理された世の中で、それらを乗っ取ることができたら、人はそのイノベーションをどのように評価するのであろうか?人は本当にそんな世の中を否定することができるのか?もちろんできない相談であろう。人は、その状況を修理し、よりよいと思う状況を再構するのであろう。人は大きく環境を変えることができないのである。環境が大きく変われと大きく考えを変えないといけない。その大きく変わる思考を人は認めることができない。それは、物事の広がり方、言葉の広がり方、柳田の民族学を読みむといい。
先日、青山のホンダのショールームでASIMO君にあった。何か怖い感じがした。銃を持っているASIMO君。爆弾が体に埋め込まれたASIMO君。そして笑うASIMO君。想像か?感情はロボットにはない。しかし、ASIMO君がどのように私達の生活を変えていくのであろうか?(ASIMO君は、ここでは技術の象徴でしかない。)
サーバーの中に詰まる世の中の情報をどのように使うのか?その情報は本当に私達の思考をすべて写しだせるのか?私の(ここでは個人)思想、思考はどのように世の中に表されるのか?この文章だって変だ。私達は思わぬ方向に進もうとするのである。体が痛い。心が痛い。心が晴れる。空が晴れる。その風の流れ、気持ちの流れ、流れの中に存在する文章、音。私は監視される。私は自由だ。個人でも集団でも気持ちは常に世の中に姿を現す。
その気持ちをアニメに表す。愛は美しい。時には残酷だ。私は、死に行く。死を恐れない時代があったことを懐かしく思う。若者よ。多いに活躍しろ。夏だ。人の誕生はいつでも夏だ。“本当?”“噓に決まっているさ。”今日も暑い。
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