オスカー ワオの短く凄まじい人生を読み終わる。今の自分の課題は、最近の英語で書かれた小説を一つ一つ読み進めることにより少しでも、私の認識と違うことを修正しようとしているのである。どうしても古い人間なので、現代性なる一つの時代の中の自分が理解していないものから、すり落ちてしまう自分が、いるのがわかるのである。その隙間に時代があり、その隙間から人は出ることができずに時代を作るのである。人の出ることができない穴とは、オスカーワオ的にいうと、“おまんこ”ということなのであろうが、その女性の穴から出られない私達には、愛しか救うことができない、そして愛も救うことができない、時代性があるのである。
小説の解説ほど面白くないものはない。しかし、このごろの小説は、難解なものが多い。すべての作者が多くのメディアとつながり、趣味も多様化されている。現代数学を一人の人で理解している人がいないように、小説もいろいろなジャンルが内容の中に入り込み、解説書なくして理解できなくなっているのである。しかし、この小説は少し歴史を紐解くだけで、感動するのである。(もしかしたら私もオタクなので、かなりの部分共感が簡単に私の中に入ってくるのかもしれない)
スニーカーを集めるのもオタクの一つであると思う。私は、多くの人がスニーカーを集めているのを知っている。その集めたものをなぜかそれらの人は、眺める?大切にしまう?履き潰す?と消費、スニーカーは化成分解するのである、するのである。それでも人はスニーカーを集めるし、人の持っていないものを持つことに優越感を持つのである。オタクとは自己満足でしかない。そして自己満足をすることを知っているオタクは、そのことがやはり自己満足なのである。自分の位置がその時はっきりと決まるのである。
では私は?となるといろいろなことをやりたくて泥沼の中にいるようである。その泥沼から這い出るには、知性が足りなく、根性もいまいちである。多くのものが私の体に巻き付いている、それもヒックス粒子?重たい自分を、オスカーワオのように140キロもないが、ここまで太れると自慢できると思うが、どのようにすれば良いのか考えながら、進んでいかなければならないのである。面白いので一度読むことを薦める。
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