やはりたん短編小説は面白くない。これは僕の今の状況のせいなのかもしれない。それともこの小説の内容が面白くないからなのか?それとも世界的な傾向なのかもしれない。かつては、芥川を読み、今昔物語を読み、日本の伝統文化は短編であるなどと思っていた。すべての私達の周りにあるものが“感”によって表されるこの世では、“カラン コロン、カラン コロン”といえばお化け?それともゲゲゲの鬼太郎、すべてのものに共同されるコードがあった筈なのである。それが社会的な繋がり。そこに人の生活が存在し、破綻する。しかし、その繋がりにあるコードの数が少なくなると短編の文章では世の中の機微が極度に薄くなるのである。8000メートルの山登りだ。(孤高の人参照)こんな例を出されていても普通の人はわからない。そんな世の中になってきてしまったのである。(良いとも悪いともわからないが)
そこに商機がある。成り済ましなどはまさにその繋がりの欠如をついた商売である。(犯罪ではあるが、彼らには月の予算なるものがあったそうである。)オタクの文化もこれと同じである。人の繋がりが、その狭い範囲の中で存在し、そこにコミュニティーなるものができるのである。スニーカーを集める。多くの人(今まで知らない人が)集まる。共通のトピックから次の話題へ。人の繋がりが著しく欠如した世の中での“夜間飛行”“星の王子様”と僕はどこにいるのだろうか?お札の中?そんな世の中で短編の文章が生きる場所はあるのだろうか?在るのである。そこには愛が必要だが。人のいちばんの幸せだ。
今の私にはあまりにも遠くかけ離れた位置に存在する小説であった。
Artlices like this make life so much simpler.
投稿情報: Anderson | 2012年8 月28日 (火) 09:15