原宿では今、フォーエバー21が多くのお客様を集めている。
そして、その前にはH&M。
この2つの店舗は、お互い社長同士が親しいらしく、これからの日本進出にあたってお互い近い距離に店舗を構え、日本市場を開拓して行くという。(あくまでもウワサ)
そして共通するのは、お互いにモ安いモということ。
それに対して日本人がおどり、そして店に列が出来ること。
私は敢えて『このおどり現象は、一過性のもの』であると断言する。すでにH&Mは、アメリカのアウトレットモールにおいて、もの余りが激しく、原宿店もすでに人はまばら。はじめの一ヶ月でブームは終わった。同じようにフォーエバー21もブームで終わるのだろう。(H&Mは新宿店のオープンをまだ決めかねている模様)
一方でユニクロは、ファッションを売っているのではなく、だんだん生活用品を売っているように思われる。ファッション業種からシェアーを奪うよりも、ワコールなどの下着メーカーまたは、肌着メーカーよりシェアーを奪っているような感がする。
モ女性の比率が上がっている山用品の冬の下着モ
これは「面白い」や「かっこいい」よりも「生きる(生活する)」ということである。
ならば、何が「かっこいい」のだろう、「面白い」のだろう。
新薬師寺の十二神将は「かっこいい」見た人も多いのだろうが、大きさといい、ポーズといい、文句なく「かっこいい」
三十三間堂の同じルーツ、時代をめぐるようなインドの流れの中に、人々の憧れを見る。その中には、かわいいという人々の憧れを見る。その中には、かわいいという人々の興味をそそるような「おもしろさ」がある。あえて言うと「面白い」ことと「かっこいい」ことは共同幻想
ならばファッションでは?
生活のワクを越えた何かがどまどまするもの。そこには「かっこよく」「おもしろく」という何かが存在することが、必要ではないだろうか。
「もちろん世界はそんなにしあわせではないというかもしれない。しかし、しあわせでない世界においても人々は小さな、もしくはもっと小さな幸せを探し求める。青い鳥に見られる。」
一歩進めて、チャプターには?
「かっこいいね」「面白いね」をスニーカーとうして集めているつもりがある。しかし、そこには集めている人の幻想があり、共同幻想える力を持たないものも多い。そこを改善しないと「はまものとしてのスニーカー」になってします。
そこには、どんなものにも共通する何かがある。
例)ゼーバルトの小説の中の悲壮感が一瞬にして生活の中の些細な幸福を見つけるように。
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