多世界宇宙の探検
”多世界宇宙の探検”という書籍、アレックス、ビレンケンが書いたものを読んでいる。これがまた理解しがたい。ほとんど理解できない。頭が狂いそうだ。こんなことを考えられる人がいること、人類というものに、尊敬をする。私は人類に何を貢献しているのだろうか?
世界とは不可思議であるが、同じように宇宙とはもっと不思議である。アインシュタインが相対性理論を1905年に発表してから、世界は多くの面で変わた。科学が、人の思想までも変えてしまう。そして私は、何も変わらない。宇宙にとっては、私は存在しない。ならば何なのだろう。これは、死んだとしても同じである。私は漂いさえもしていない。
知らないことが多すぎるし、わからないことは宇宙には無限に存在する。私がゴミでもなく存在さえしなけれならば、私が理解することは何も存在しない。そのように考えると気が楽になる。面白い世界である。
やはり書物は読むべきだ。幻想などは存在しない。そこに存在するものは、自己の消滅だけであろう。消滅するということすら存在しない宇宙だけなのかもしれない。(矛盾している箇所が多すぎると思うのだが、私が存在していない、存在する宇宙にとっては、どうでもいいことなのであろう。)許していただきたい。
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