現代語訳 吾妻鏡
私の人生は、無駄の塊であろう。もう少し、真面目に生きなければならないのだろうと思うのだが、どうしても脇道にそれてしまう。それに何が”まじめ”かということがなかなか難しい。それこそ、真面目だと思っていることが無駄であるのかもしれない。
Chapterでスニーカーを売っていて常に思うのは荷駄が大切なのだ、ということである。特に目に見えるようで見えないものの大切さを理解するときには、どのくらい無駄を経験しているのかが大きくものをいう。それなので、私は、吾妻鏡などの古典もたまに読んだりする。
吾妻鏡を原文にて読むのは、私の語学力では不可能だ。何せ、現代語だって満足に理解しているとはいえない。そして、このたびの現代語訳、まず第一巻。平家、源氏との戦い。鎌倉幕府。武家社会。その中での天皇と、人々。権力争い。人の振る舞い。と、多くのことを何となく理解することができる。それは無駄、かもしれないが無駄でないかもしれない。
しかし、漢文、古典の勉強をしっかりしなかった、私の若い時の時間の使い方は無駄であろう。五味氏が訳しているのだが、面白い。ぜひ読むことをおすすめする。
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