先日、日経新聞の野坂昭如氏の“8、15からの眼差し”を読み、感じいるものがあった。彼は自分のことを“ぼく”と表現しているのである。野坂氏というと“蛍の墓”である。さくまドップのカンと妹の死、夏の暑さと蛍と夏の火(妹が火葬される)その謙虚さとは別に“野坂”氏とは自分の弱さを見せないように(?)いつもメディアの前では強がっていた。しかし、80歳になった彼は、自分のことを“ぼく”という。ぼくは、この文章をショパンの“幻想即興曲”を聞きながら、読んでいた。どこまで自分に素直になれるのか?人生を謙虚に生きるのはとても難しいことである。
家に帰ると“ドマン”のおじさんから手紙が来ていた。今年も夏も冬も“カルピス”である。そのお礼状である。ぼくは、おじさんに仲人をしてもらったのが自慢である。おじさんは、癌ですでに3年間も戦っている。ぼくに対して、友人と書いてある。私は、おじさんの友人ではなく、おじさんの生徒である。世の中を教えてくれたのは、おじさんですべての人と話せるように訓練したのもおじさんの忠告があったからこそだ。そのおじさんが、死にそうだ。
長崎に住んでいた。多くの人が死んだ夏。悲しい夏の終わりには、空の色が黄色くなっていく。ぼくは、カルピスを飲みながら、自分の死を想う。正法眼蔵を読むがそこには何もない。あるのは“ぼく”だしないのも“ぼく”である。
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