福島第一原発の問題は、私達に“わからない”ということの恐怖をつくづくと感じさせる。東電、日立、東芝、消防、警察、自衛隊の人たちが日夜処理しようと頑張っているのはわかるのだが、誰にもわからない恐怖は多くの人に、現実と未来への不安を与える。多くの人が、何もわからない中で、安心を求めて安全だと思える場所に避難をしている。ここ韓国でも多くの日本人がアパートを借りて今、避難しているのだそうだ。
また、核とは見えない、見えないものは、わからない。それも不安をかりたれる。どこに恐怖ももとは存在するのか?それが分らない。水は本当に安全なのか?この食べ物は?見えないので、自分では判断しかねる。そこに海外の友達から、情報がくる。日本のニュースと海外のニュースで流れている情報が違うような気がする。誰を信じるのか?
また、世の中の流れもわからない。今回の災害で,多くの人が電力の大切さ、しいていうと日々今まで何気なく使っていたものの大切さを身にしみて感じているのだと思う。世界の人口は70億人になり、あと40年も立つと90億人になるという。本当に人、また、自然は、それらの人たちにより良い生活を与えることができるのか?“わからない”のである。不安である。何か戦争、紛争などが起きないか?嫌な感じである。
世の中は不安定だ。誰にもコントロールできないことが起る。わからないことだらけだ。わからないことは恐ろしい。たとえ未来が明るくとも。マーク トゥエインの“不思議な少年”のように
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