人と話しをする時に感じるのは、面白い人がいないということだ、もちろん私が面白いのではなく、私の興味と共通する人がいないだけなのかもしれない。特にスニーカー業界の人で話しが合う人はほとんどいない。もしくは、私はスニーカー業界に知り合いがいない。これは、私の興味の問題なのであると思うのだが、本当に話しが合わない。まず、私はテレビを見ない。この5年の間、家でテレビを見た時間は、オバマが大統領選挙で勝った日。ワールドカップの本田の得点以降の1時間ぐらいである。これでは世の中の人とは話しが合わない。
家ではもっぱら、本と雑誌を読んでいる。本といっても何でも読む。漫画、経済、音楽、美術、小説とおもしろそうな本は、基本的に買ってしまう。先日読んでいた、セバールトの“目眩しい”は、難解であり、私の理解をとおりこすものであった。しかし、面白い。同じような臭いのある小説家、カズオ イシグロも読む。しかし、そのような話しをしても誰も喜ばない。せいぜい喜ぶのは、私のガキぐらいである。どこが面白いのかはわからないが、私のしていることに興味があるのだろう。
万葉集を読んでいる。万葉の時代に生活していた人と話している。何に興味があり、また、万葉集にあるようにすべてのことがうまく、面白くいくわけではないのだろうが、その当時の人と話しをしている。仏像をみて、それを作った人と話しをする。それも過去との人だ。先日、渋谷のマクドナルドでコーラを飲み本を読んでいると、年配の女性の人がチキンナゲットを食べないかと、話しかけてきた。少し話しをした。何がいいたいのか、何が欲しいのかわかった。人恋しい、である。
人は一人では生きていけない。しかし、一人で死んでいかなければならない。すべての人が一つのことでは平等である。誰と話しをするのかは、個人の自由であろうが。などと思いつつスニーカーを売っている。世界がそんなに平和でないことを理解し、生きている今。少しでも多くの人と話しをしたい。
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