昔一度、一澤帆布に妹が連絡をして何か一緒に出来ないか?と話をしたのが縁でありこれまで何も商売らしきこともなく、話友達(喜久夫さんには失礼だが)のような関係を続けているのが、私と喜久夫さんとの関係だ。喜久夫さんは遺産相続で揉めている一澤帆布の四男として、これまで工場にて商品を企画、製造していた縁の下の力持ちのような人だ。その喜久夫さんが今度、知恩院の前にキ(七が三つ、昔の喜ぶ)一澤製という帆布屋さんをオープンしたので挨拶がてら行ってきた。
喜久夫さんは変わり者である。武具を集めており、私のわからない世界観をもっている。時代祭りの服装がその時代にマッチしているなどの時代考証などをしているまさに歴史好きな“骨董マニア”である。それだからなのかもしれないが、普遍的に続くようなもの(もちろんそんなものは存在しないが)を制作しようと日夜考えている。それはそれは古風な人である。そんな感じの人なので、遺産相続で揉めている兄弟2人を“自分をうまく使い(いいものを作らせて)うまく儲ければいいのに”などとしきりに一澤の名前が世の中に悪く伝わるのをいやがっていた。まさしく職人芸を持ち合わせた人である。
私はスニーカーを売ることに、商売人であるべく努力する。しかし、世の中には買えないものもある。喜久夫さんにとってはお父さんと一緒に一澤の商品を開発、生産してきた思い出があり、その思い出はお金では買えないものなのだろう。なのでこの商品は、いつどのような時に作った、またはこれは喜久夫さんが作る前から存在した、などの細かいことをすべて覚えている。今回、オープンし、商品数が少ないのをしきりに嘆いていた。商品はいいものを(自分の納得したもの)少しずつしか増やせないとのこと。しかし、そこには一澤ワールド、喜久夫ワールドがある。
今回の(キ)一澤製は売れると思う。なぜならば商品に無駄がないから。美しいものには無駄がない。そして作り手の愛情がこもっている。もの作りから人は、ものを学び、人として成長する。そして商売人は?
金 喜久夫社長に何か頼もう
卑しいがそれが僕である
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