争が絶えない世界。それを理解するのは日本にいると難しいのではないかと思う。私も実際イメージがわかない、戦争のある生活。しかし、世界はそんなに幸せではないのではないのだけはわかる。世界にはいつも権力争いが存在しており、多くの戦いがあり、多くの人が死んでいる。人は、生きているもの、宇宙さえも、は。すべて死んでいくのだ。もしかして、それすら関係ない存在というものがあるのかもしれない。しかし、私にはわからない。
人は権力を欲しがる。私にも権力があり、それをむやみに使おうとする。もちろん、誰かを傷つけ(もしくは自分を傷つけ)日々の生活をしているのだ。連力とは言わないのかもしれないが、夏目漱石のいう、向こう三軒の煩わしさは、人が生きていく上ではしょうがないのかもしれない。その煩わしさが大きくなると権力となり人々を苦しめるのではないだろうか?
“真理は人を解放する”といったのはソクラテスであろう。しかし、その心理への探求が人の生活に、特にダーウィンの進化論的に言うと、生存、繁栄には無益である、と言うのはジョン、グレイの“わらの犬”である。同じように真理は、人の権力を減らしはしない。逆に増やしているのではないだろうか?まさに人には真理が必要ないのではないだろか?
しかし、これは事実である。夜は、バッハよりもモーツァルトの方が僕にはいい。もちろん、私自体のことでありそれ以上それ以下でもない。っそして、そこには何の力もかからない。私は無力でありたい。(そうもいかないのだろうが)
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