暖かくなり体の悪い私は、大阪から奈良に向かった。平城京、1300年祭、は、今、特別拝観でにぎわっている。何か仏様でも見つければ、などと軽い、しかし、興味本意の法華巡りである。今回の目的は、法華寺の、国宝、十一面観音と、三月堂の不空羂索観音とその脇を固める、日光菩薩、月光菩薩をみるために行ったのである。軽いが目的はある。
十一面観音のある、法華寺はまさしく、1300年祭の一つの行事として行われる、お茶会、その他もろもろのことが行われており、八時半には多くの人が寺に押し掛けていた。人々は、仏像どころでなく、十一面観音のある本堂では、マット敷き、椅子を並べるのに大変な様子。私達も、なぜか気が焦り、ゆっくりみるというよりは(何か落ち着かない)、記憶にとどめる。という行動になってしまった。和辻哲郎の、古寺巡礼を持ち、果たしてまた、誰が作ったのか、この手の長さは、百済からの影響か?それとも、シナの影響か?などと思いつつ、顔の丸さに、唐招提寺の仏像を思い、寺を回り、東大寺に向かった。
東大寺では、まず四月堂に行き、千手観音を拝み、(拝観料ただ)、ちょうどお坊さんが来て、般若経を(それもタダ)得した気持ちでそこで、10分ほど正座させていただき、自分の中心のずれを少し治して、天と私の線を確認して、3月堂に向かった。
三月堂は、もう少しすると修理にはいる、そうすると、不空羂索観音と月光、日光菩薩が並んでみられなくなる。たぶん、2−3年はむりなのでは?そんな思い出、見に行ったのである。それは美しい。何がいいのか、場所の感じ、雰囲気がいい。見ている人がいい。夫婦で来ている親父と、嫁さんが、話している。“いいね いいね あの合掌がいいね。いいね”と、嫁さんに向かって言っている。その姿がいい。何とも言えなくいい。やはりきてよかった、と思える。人は、仏様、仏像の前では素直になれる。なれない人はどこかに問題がある。その前で、二人が、いいね。いいね。ときたら、私もいいね、いいね、と合掌しない訳にはいかない。
十一面観音のある、法華寺はまさしく、1300年祭の一つの行事として行われる、お茶会、その他もろもろのことが行われており、八時半には多くの人が寺に押し掛けていた。人々は、仏像どころでなく、十一面観音のある本堂では、マット敷き、椅子を並べるのに大変な様子。私達も、なぜか気が焦り、ゆっくりみるというよりは(何か落ち着かない)、記憶にとどめる。という行動になってしまった。和辻哲郎の、古寺巡礼を持ち、果たしてまた、誰が作ったのか、この手の長さは、百済からの影響か?それとも、シナの影響か?などと思いつつ、顔の丸さに、唐招提寺の仏像を思い、寺を回り、東大寺に向かった。
東大寺では、まず四月堂に行き、千手観音を拝み、(拝観料ただ)、ちょうどお坊さんが来て、般若経を(それもタダ)得した気持ちでそこで、10分ほど正座させていただき、自分の中心のずれを少し治して、天と私の線を確認して、3月堂に向かった。
三月堂は、もう少しすると修理にはいる、そうすると、不空羂索観音と月光、日光菩薩が並んでみられなくなる。たぶん、2−3年はむりなのでは?そんな思い出、見に行ったのである。それは美しい。何がいいのか、場所の感じ、雰囲気がいい。見ている人がいい。夫婦で来ている親父と、嫁さんが、話している。“いいね いいね あの合掌がいいね。いいね”と、嫁さんに向かって言っている。その姿がいい。何とも言えなくいい。やはりきてよかった、と思える。人は、仏様、仏像の前では素直になれる。なれない人はどこかに問題がある。その前で、二人が、いいね。いいね。ときたら、私もいいね、いいね、と合掌しない訳にはいかない。
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