世の中の人の生き方には、2つある。
"ボーッとする"と"考える"
その中での時間の流れは変わらず、またどちらが良い時間の使い方かは、はっきり言ってわからない。もちろん集中する時には"考え"、また何か体を動かし続ける時には"ボーッと考え"、ジョン・コルトレインの"Supreme Love"を聴く時には"ボーッとし笑う"、など境界線は曖昧である。
人の生き方は、曖昧なのである。その中ではっきりしていること。「人は死ぬ」いや「すべてのものは死ぬ」ということである。
では"死"とは何か?ということが問われるのであろう。魂の死が死であるのか、肉体の死が死であるのか、はてまたはてまたといろいろあろう。地球だって生きている。近頃東京には地震がないが、地震が起こると生きていることを確認する。空に雷が鳴ると空だって。空を見上げ、星の光を確認すると宇宙だって。"おーい、どこまで拡張するの?"と聞きたくなる。
すべての物質(有)は、生命体(有)の中に取り入れられる可能性があり、有は有を含食するのである。[宗教的である。]
先日、牛乳をこぼしたガキは、頑張って走っていた。"覆水盆に返す"ために光より早く走るために頑張っていた。そんな風景を見て、"ボーッと考え"、宇宙の収縮を考えてみた。光より早く。
そうすると宇宙は、過去に戻り、もし無からはじまるのなら無になるのであろうか?ならば無とは?
映画にもできない[宇宙の働きを人は何も変えることなどできないから、]
したがって結果「すべてのものは、生きている。」ぐらいに止めておいた方が、良いのである。人生には"ほどほど"という言葉がある。この文章の出来の悪さに涙して。
本日も仕事をしよう。
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