スニーカー(靴屋)ショップ、チャプターを営むとは、私の人生とは何かということのほぼ一部となりえる。ここ15年の人生を多く一緒に過ごし、総てのことがこのチャプターを基点としてはじまっている。すでに幕はあいているのである。
チャプター君はいいました。
「おいおまえ、もっとどんどん働けよ。」
私は言った。
「そりゃかんべんしてくれよ。そんなにどんどん働けやしない。」
「いや働ける。おまえの頭にはムダいっぱい。」
「そう 私の頭にロケットいっぱい。マサイ族、私のトーテム。すべては基点にいきつくのだが。」
「そこを改善、進化させろ。」
「そりゃ、トヨタやポケモンにまかせるにしよう。」
もう少し、ひねってみよう。
チャプター君は、“Good!Good!”と私の真下にいます。
「おいおまえ、これ以上おまえをかつげないよ。」
遠くから、ワッショイワッショイ
Go Go Go
私はペニスをたてる。
「そりゃ私は働きアリ。だけどもアメフト会場ブーイング」
「いやいやGo Go Go、笑顔を忘れずGo Go Go、おまえの頭はモウソウ一杯」
「いただきます、そう私の頭にゃ、ロケットイッパイドッキング。ヤリを持ち跳ねるマサイは、私のトーテム。あ~いく。」
「そこを大野やダーウィンに」
「いやはや、それはトヨタやポケモンにまかせよう。」
などと、どうでもよい(私にとっては大切な)ことを思い、チャプターにどのようなスニーカーを置こうかと考えている。思いは浮かび、考えは沈む。
先日読んだ東洋経済の野口氏のコラムに、以下のようなことが書いてあった。
〈ゴルバチョフは、ロシアの体制を立て直したかっただけで、転覆させようとは思っていなかった。〔しかし崩壊した〕
一方、鄧小平は中国に資本主義を打ちこみ、体制を変えたかった。〔しかし、共産主義は残ったままだ〕
そう、私自身ではどうしようもない力が世の中にはあって、〔そう思っているそばから、私はその力が四つの力のどれに入るか?などと思う。〕私は遠くを見つめる。そうだチャプターを目の前にしながら、古今和歌集を読もう。
とほき所もいでたつあしもとよりはじまりて年月をわたり、たかき山もふもとのちりひぢよりなりて、あまぐもたなびくまでおひのぼれるごとく
チャプターは生きている。
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