先日読んだ岡井隆の「限られた時のための四十四の機会詩」よりいく。人生とは限られた時の中にあり、その生と死と今生きる世と死後に生き続ける世の中の限りなくへだたれた時の中にへはおびえながら生きるのである。全ての生き物とは宇宙も含めて平等である。「すべてのものには限りがある」それを死と呼ぶのか、なんと呼ぶのかは別としてその限りある、または限りない時間の中を生きるのである。
そして経済。世界の国々の経済はみるかげもなく落ち込んでいる。(しかし、私たちは現時点において生きている。その生物学的意見において)多くのエコノミストがそれぞれの論を言っているのであるが、はっきりしたことが一つある。「みんなはっきりわからない」ということである。その理由の一つに全ての人が現在に依存しているからである。それはどういったことかというと、全ての人の時間軸がブレているのである。現在を生きるとは過去を生き、未来を生きるということである。その時の個人の感覚が人それぞれにおいてブレているのである。
ジャンケンの負けない方法は1/3づつ[3回に1回]グー、チョキ、パーを出す事である。しかし、ジャンケンを1回しかやらなければ1/3で勝ち、1/3で負け、1/3で引き分けである。それをそのくらい続けるかによってその負けない方法はベルカーブを描き、ある数の中におさまっていくのである。
[確率統計である]そのサンプルの取り出しには、“それを行うという時間がひつようである”サマーブの言う経済と、マンキューの言う経済、またバーナーキンの時間と白川の時間、ケインズの社会フリードマンの社会とは違うのである。
そんな現在に私は立脚しており、私の限りある時の中で心の中を見るのである。
もう一つ世の中の実生活におとしてみよう。日本の小売り(SPA)で成功している[利益を上げている]会社には、ユニクロ、ニトリ、ABCマートといわれている。しかし、その利益を上げる体質がどこまで続くのであろうか?そこで時間軸を中心に考えてみる。人口減→どの企業にもマイナス。時間的なPRICE DOWN→全てのものにはコストがかかる。そして、人の計り知れないテイストの時間軸の中で変化→わからない。この“わからない”ことがKEYである。これからの企業価値を決めていくのはこの不確実な“限られた時の中での判断“なのである。
もう一つ私の世界に近かづける。“Chapter”こういっていいだろう。「まじめに考えてやっている」つもりである。多くのお客様にこの劇はどうでしたか?もしお楽しみいただけたのであれば、おおきな拍手を“パンパパン”そう願いつつまた幕はあがるのである。
本明
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