萩原朔太郎
私は、高校の時、真さんという先生に国語を習った。先生は、東大を卒業され、萩原朔太郎を勉強していた。私は、文芸部にも所属していたので、よく先生のうちにホットプレートを持ち、遊びに行った。しかし、私の教室での態度はかなりひどいものであった。先生(真さん)もあきれていた。私は、当時から(今でも)ある意味天才だと自負している。
その中で一つ記憶に残っているのは、真さんが私に向って”朔太郎の詩がわからないのか”と怒って言われたことだ。私は、馬鹿にしていた。何が”竹、竹、竹”だ。何が”月に吠える”だと。そひて、年をとり、涙もろくなり、かつて感動したものに感動せず、今は、かつてと違ったものに感動する。
竹
光る地面に竹が生え / 青竹が生え / 地下には竹の根が生え / 根がしだいにほそらみ
根の先より繊毛が生え / かすかにけぶる繊毛が生え / かすかにふるえ
かたき地面に竹が生え / 地上にするどく竹が生え / まっしぐらに竹が生え / 凍れる節節りんりんと
青空のもとに竹が生え / 竹、竹、竹が生え
なんと孤独な自己表現なのであろう。しかし、自己の中の素直さに力とさみしさを感じる。悲しい月夜 の月に吠える犬、25年近くをめぐり、今、真さんに感謝する。また、多くの私の周りに人たちに感謝する。
スニーカーを通じて私は多くのひと会う。どのように私は、自分の存在を表すことができるのであろうか?凛としたものを私は私の中に渇望する。
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