吉祥寺 ドマン
吉祥寺にドマンという喫茶店がある。私は、この喫茶店に20年以上通っている。この頃は、とても行きづらく、年に何回しか足を向けることが、出来ない。私にとってドマンに行くことは、おじさんに怒られることであり、賢者は町に隠れ住む、ということを確認することである。この頃は、行くとなぜか涙が出てくる。おじさんは、体の調子が悪い私に、怒ることもなく、ただ休めと注意するだけである。 しかし、私は、おじさんに怒られたいのだ。
私もChapterをやっているので、お店の雰囲気は判るつもりであるが、特別な関係をお客さんと創るのは、とても難しい。そこに何かの繋がりがないと、何もいえなくなってしまう。その目にみえるものと見えないものが、人と人の関係であり、安心である。そして、それは創ろうとしても簡単に作れるものではない。
先日ドマンに行きその居心地のよさに感じいった。隣は、タリーズコーヒーである。そこには、ない何か目に見えないもの。それが、私に対する、おじさんの期待であることは、判っている。私は、若いときからおおぼっかいであった。今でもそうである。大いなる馬鹿でありたく、生意気に生きている。私は、私のよさも悪さも知っている。そんな私に期待してくれる人がいるのが、私の宝である。
ドマンにいったら、サラスパを食べる。20年前もサラスパ、今もサラスパ。味は、店の雰囲気をあらわし、店の雰囲気は味に影響する。
早くお前は、馬鹿だなーといわれるために私は、がんばる。
Chapter様
ご存知かもしれませんがドマンが8月末を持って弊店します。おじさんの体調が悪く、来月手術を予定しており、ご高齢でもあることからこれを機会に引退されるとのことです。
おじさんは毎日ではありませんがお店に出られていますが、長時間は辛いご様子です。
なお、おばさんは以前と比べるとお年はお召しになりましたが機関銃トークはご健在です。
当方もこの週末にドマンに最後のお礼を言いにお邪魔したいと思います。Chapter様もお時間があればもう一度おじさんに怒られいかれたらいかがでしょうか。
おじさんの弟子なりそこないより
投稿情報: おじさんの弟子になれなかった愚者より | 2009年8 月28日 (金) 08:21
追記:
先のコメントで肝心なところでの誤字すいません(弊店→閉店)。故に愚者なんですね(笑)
昨日の最終日にお邪魔しました。昔の仲間も集まり閉店後も団欒していましたが、おじさんもおばさんも娘さんもどことなく寂しそうでした。
そんな中、仲間がいいことを言ってくれました。
「僕らにとってのドマンは社会に出る前の勉強の場であり、「ゼミ」のような存在でした。ゼミの場であるドマンが無くなってしまうことは残念ですが、ゼミは人が集まったところでできるもの。こからも僕たちの心の中にあり続ける、集まってところにドマンができるでしょう。」
おじさんには必ず元気になってもらってまた「ドマン」で再会したいです。
文章が下手ですみません、気持ちが伝われば幸いです。
投稿情報: おじさんの弟子になりそこない2 | 2009年9 月 1日 (火) 09:00