宗像姉妹
よくこの頃映画を見る。 映画館で見たいのだが、目と腹の調子がよくなく、もっぱら家にて、DVDである。 その中でも小津安二郎の映画は、私にとって落ち着く一時である。 年をとったせいか、この頃あまり派手なものを見ることがなくなってしまった。 絵画にしても、シュールのものよりも、もっと落ち着いたものが好きになってきた。(先日も年だと若い人と話した) 本だって同じだ。古典的なものばかり、読んでいる。
小津の作品は、なぜ落ち着くのだろうか? そこには、常に変わらない構図がある。 まさしく、どの作品にしても同じアングルにて作品を撮っている。また、ほとんどが晴れの日である。テーマも似たものが多い。しかし、後期の作品のほうが、同じテーマであっても、面白い。(晩秋と秋刀魚の味) それは、スニーカーでいうとAF Iでありスーパースターであるような気がする。 しかし、この頃両モデルとも人気がない。 定番、見慣れたコンポジション、そのモデルが多くの顧客の方から敬遠されている。
映画とスニーカー、または、お店としてのCHAPTER。映画のように、芸術性はないかもしれないが、私は、そこに何か目に見えないものを、求めていかなければならない。消耗品である、スニーカーのあまりにも目に余る乱発は、何も産まないのではないだろうか? 映画、宗像姉妹にて最後に姉が妹に対して言う。 自分に対して正直に、それは、人生に対してだけであり、商売でそれを表すと、単なるメーカーのエゴになるのだろう。
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