« 2012年5 月 | メイン | 2012年7 月 »
世の中には時間が存在しており、その時間の中で人は生活をする。しかし、面白いことに、その時間とは何か?、がわかっていないのである。うどの竹の子のように宇宙が誕生しており、インフレーションなどお構いなしの、次元さえもそしてそれは私達の知らない世界への入り口、しかし、トマスピンチョン、もしくは村上春樹のように出口がなければいけないなどと言えない、出口のない世界の始まりでは、私達の常識も通用しないのである。
プラハの春、クンデラは“存在の耐えられないーー”を書き、私達は今“アラブの春を迎える?”しかし、そのアラブの春なるものがどのようなものか私達、地理的にはなれた人にはその熱気が理解できない。現代の同じ時間に存在する出来ごとさえも理解できない私達はどのように世界を理解し、常識を問うのであろうか?そこの世の中には、ダンテの神曲、それともファウストの劇ともつかない常識、非常識。そこに存在するのは、人々が子孫を残そうとする、生命の利己的、利他的は存在理由なるものだけなのかも?しかし、宇宙も利己的?利他的?どこにも行き場のない存在の軽さ?そこの存在するのは、原始的な愛。
偽善の愛を問うものが世の中の常識を問い、生活へと影響を与える。人は食べていかなければならない。自己防衛の摂取と過剰な摂取を。それは人の欲望の大きさと、不安の大きさに比例する?その地平線に存在するのは、愛と自由?人を愛する自由、自由を愛する私たち。人の上に立つ太陽に時間を任せて、私達は幸せを探す。花園はエデンの園になり得ず、人に手を加えられる?そこには性善説の息をする場所が存在しない。
ミルの“自由論”を読んだ。時代は変われど、そこに活きる人々への“愛と自由と性善説を”祈って果ては、ヘーゲルに行き着く思想の時代性を、そしてソクラテスへと。人は弁明するのであろうが、時代がそれを受け入れるかはその時々によるのである。そこには、ねーちゃんにやらしてもらえるのか?やらしてもらえないのかのタイミングと大差ない時間の流れが存在するのである。常識はその程度のものでしかない?いやねーちゃんにやらしてもらえるのは、史上最高のご褒美である。私はそこまで時間のコントロールを行動で表せられなかったが。
投稿情報: 08:23 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
| リブログ (0)
投稿情報: 07:59 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
| リブログ (0)
みすず書房から発売されている“貧乏人の経済学”を読んでいるのであるが、このグレーな感じ、答えがあるようでなかったり、どうにも片方だけに特化できない立場に立たされたり、卓上の計算だけでなく実際の経験でしかものが語れなかったりと、学ぶことがたくさん存在する。世の中の多くの人が考える思想は、バイアスが掛かっているのだが、もちろん私も、そのバイアスを解きほぐし、世の中をよりよくする方法を見つけ出すプロセスは、やはりこのように、どこにいくのかわからない議論、経験をしなければならないのであろう。
私などは、靴を売り既に20年近く経つのであるが、時代の流れについていくだけでかなりの時間と労力をとられている。何事もやってみなければわからず、失敗ばかりしている。既に時代に合わないことをやっていることが多すぎるのである。(私のやっていることが世の中のためになっているのかもわからない。しかし、多くの人が飯を食べているのは一つの世の中への貢献であると思う)それでも答えのない問題を、アーでもなく、コーでもなく日々進むのである。しかし、日本のスニーカー、靴市場は悲惨な状況だ。
アメリカより今日帰るのであるが、スニーカー一つにしてもアメリカのニューヨークには力が存在する。それがどこからくるのかはわからないが、アメリカの商売の方が、もっとコンスタントに商売ができるのである。一方、アジアの商売はかなり激動激しい。すぐにブームが廃れてしまうのである。このごろは、ポイントの業績の悪さが目立っていると思う。また、シップスなどは常に身売りの話でいろいろな人の間で盛り上がっている。これも、どっち付かずの世の中とうまく対話ができなかったためなのか?
しかし、“Poor Economics” のなかにでてくる話と比べると、状況は良いのかもしれない。なにせ、日本はインドなどと比べると裕福なのであろうから。(私はインド、バングラディシュなどに言ったことがない。ましてやアフリカ。)それだからこそ湯で蛙になってしまうのであると思う。自分がそうなる前に、そして私の周りの人がそうなる前に、私はアメリカに来てここで商売できる可能性を探っているのであるのだが。それもやらなければわからない。そんな本が”貧乏人の経済学“である。
投稿情報: 19:02 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
| リブログ (0)
アメリカにきて、特に夏になると、人のはだの露出するのが多くなると、太った人が多いなーと思う様になると思う。日本でもやはりこのごろ体格の西洋化が顕著に見られる様になってきたと思う。その度に、これからはバイオの時代がきたなーと思うし、肥満に対する予防が大切だと思うのである。
ここニューヨークのナイキタウンもランニングブームなのか、特に女性に、多くの人がランニングセクションで試履きをしている。その凄まじさは、日本では見られないような勢いがある。私などは、体が言うことを聞かずとりあえず、歩くことから始める。今回のアメリカの様に、歩き回っていると体調がよくなってくる。日本にいるとボーとお茶ばかり読んでいるのが問題なのか?私などは、体が悪過ぎで太りさえしない。体を大切にしようと思う。
カラフルだ。走るのにも美しさが必要だ
常に人でいっぱい
今年はシャーベットカラー
投稿情報: 20:09 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
| リブログ (0)
先日、鬼平犯科帳を見ていると、登場人物が“生き物に決まっているのは死だけである”などと言っていた。その死の中の時間をコントロールするには、時間が何であるのかわからなければならない。そしてボンクラな私は、“時間と宇宙のすべて”(アダム・フランク)を読んで時間とは何かと理解するためにいる。大きく私が想像していた内容と違っているのだが、私はもっと抽象的なものを想像していたのだが、実際はどのように時間が人々の生活の中で時間が、人の感覚、認識が変化してきたかを説明するのである。それは、経済と大きく関係しており、時間の概念を新しく作った人が世の中をリードできるのである。
時間などあまりある様に感じるのは、若いときだけである。もちろん私のようなボンクラではない多くの人々は、若いときから時間の大切さを理解していたのかもしれない。しかし、私は今になりやっと、もしくは少し、残りの人生の時間を気にする様になってきた。もちろん時間を制し、世界を征服してやろうなどとは思わない。しかし、多くの人が思っている様に時間がなく、やりたいことができないのは理解しているつもりである。
世の中を見渡すと、ギリシャの問題、スペインの金融機関はどうなるのか?はてまた、世界の国家主義的経済主義の行き先は?と、どこもかしこも同じ記事ばかりである。仕事にいくとどこもかしこも景気が悪いとの話ばかり。人は同じ話を同じ様にどこでもかしこでも話しているのである。それは時間の無駄ではないだろうか?もう少し面白い話はないのであろうか?
【悲しい話】
岳が終わってしまった。(漫画である)
仕事で企画書ばかりを書いている
モテなくなった。
【楽しい話】
読めていなかった本を読み始めたこと。(理解をしようと努力している。)
眠くなる様になった。
仕事、会社の人がいい人であること。
文化を創る。売り方を作る。それは未来を作る。それは時間を制すると言うことである。これから売れるようになると思う。(多分売れる。)お金ではなく、私は自慢好きだ。商売人は金がないのは首がないのと同じである。“Greedy”
が今年のテーマである。
投稿情報: 21:07 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
| リブログ (0)
投稿情報: 16:06 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
| リブログ (0)
人はなぜイメージをするのであろうか?他の生き物もイメージをするのであろうか?では、イメージとは何であるのか?それは一つには、未来を読むことであると思う。そしてもう一つには、なにげない日々の記憶の底にあるものの吹きだめなのではないかと思われる。今は、バッハを聞いているのであるが、寝ながら聞いていたラフマノスキーの2番では私は、森の中に連れて行かされ、もしくは誰かもわからない人が連れて行かされ、黒い靴を履き奥に奥にと小走りで歩いていくのである。もちろんそれでもその場所のどこかに私は存在しており、それが意味するものを私は知らない。それは何かを見つけたから?それとも何かに追われているから?そして、そのイメージの中の人物が私ではなければ私のそのイメージの中であった人とは誰であるのか?
首の周りにまつわりつく甘い感じと、そのイメージの中にある地面の荒れ具合に、私はなぜかそこに存在するのは、私だけではない感じと、太陽の鼓動のする寒い森の中での木漏れ日を思うのである。それは、まだ行ったことのないロシアの暗さと、ロシア正教の教えなのか?それとも大審判の中の告白が、私の中に活きているのか?私の中の教えは、地場の守り神、宮崎駿のクロクロクロスケと同じものであり、土偶の中に活きる太陽神の大きなおなかと大きな性器である。それでは、なぜその木漏れ日の光を神の様に崇めるのであろうか?森の聖なるものは、私をどこに連れて行こうとするのであろうか?
黒い靴を履き奥へ奥へと行かなければならない理由が存在するのであろうか?それは、見えないものへの恐怖であるのか?それとも私達の中に存在する、母の胎内に戻る行為なのであろうか?戦争で死を迎える人たちは、母の思いを胸に抱き死んでいくそうである。その話をして、母なるママは、大きな笑顔をするのである。人のイメージなどは浅はかで、頼りのないものである。もちろんそこに存在する私のイメージも浅はかで頼りないものなのである。そんな場面が人生に存在しない様にしなければならないのである。勿論全てのひとに対してである。そんなイメージの存在を私は他の人と共有すべきなのである。
私がイメージの中であった、私、もしくは他の人と、またどこかで会うことがあったならば、私は言うのではないだろうか?“今日はいい日”黒い靴を履き下を向きながら歩いている人たちよ、私にあったら“調子どう?”最悪なら、アキラでは“最悪を絵に描いて額に入れた”と表現していた?が今の人ならば、親指を下に向けて“ブー”しかし、太陽は今日も上り、どこかで人が生まれ、どこかで人が死んでいく。もちろん、全ての生物が同じ営みを繰り返し、全ての形あるものも同じ営みを繰り返すのである。その時、私達のイメージはどこにいくのであろうか?
惑星ソラリスには意識があり、タルコフスキーの東京は、未来の世界のイメージを私達に与えるのである。終わりがなさそうなので、ラマノフスキーの2番から派生した私の中の、もしかして私ではない何ものからの、イメージの話を終わりにしたいと思う。(既にオカルトのようになってきてしまった?)黒い靴を履いた誰かさんに良いことがあります様に。
投稿情報: 08:39 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
| リブログ (0)
果てまた海外で今日は、香港、中国のスニーカー工場の振り屋さんと話をしていたのであるが、その中にインド人のような香港人のおじさんが混ざって話を聞いている。このおじさん、私が“貿易をするなら香港”などと言ったのでその貿易どのようにしたら香港をうまく使えるのかと、知り合いの振り屋さんに誘われて一緒にきたのである。しかし、彼の英語は聞きづらく私は、振り屋さんに通訳をしてもらい、うまく相づちをうち、1時間が過ぎてしまった。香港の魅力ある会社経営なるものを、私も何となく理解しながら果ては、奈良の空へと飛行している。
百済観音は、顔が長い。その美しさが飛鳥の里にはあり、私達の祖先が朝鮮半島から渡ってきたことがわかる。その美しさは、夕立雲からこぼれる一筋の光のようである。しかし、時代が少し下がり鑑真和尚の時代となると仏像もふっくらとしてきて、文明の力強さがその体格にほとばしり始めるのである。それは、知識をまたは豊穣を、古代からの農業神なるものを表す、一つの土の神、女性神とでも言えるようなあたたかさが、特徴である。そんなことを感じながら鑑真和尚を奈良の美術館で拝んだのは2−3年前だと思う。私は、雨の日近鉄奈良駅から意気揚々と歩いていったのであるが、次の日にはなぜか2ヶ月ほどビッコを引いていた足がまた、痛くなりそのあと2ヶ月足が、体が痛かったのを覚えている。
日本は多くの渡来人により技術を、文化(思想)を伝えてもらい初期の日本の形を作っていくのである。物の部、空海、最澄から馬琴まで(飛び過ぎ)日本がうまく立ち回ったのは明治維新より少し前、第一次産業革命に間に合ったため、何となくうまくいき、太平洋戦争で負けるも、朝鮮戦争、ベトナム戦争の特需の中で産業が栄え、もちろん私達の親は、44歳、苦労を重ねたのであるが、何となく右肩上がりの時代を迎えることができたのである。ただ少数の人たちは大きな決断をしたのは確かであるが。
ここで、だから私は香港に来ていろいろと香港のいいことを学ぶ、などと言ったら綺麗すぎる。美しいのは奈良の唐招提寺の階段から左を向いた景色。奈良だなーと思う。万葉集の奈良の山々は背が高くない。神が降りてくるのは小高い岡の方が良いのだろう。とは思うも鐘もなるなる、柿は固い、懐も固く、今年の目標は“GREEDY”。ウオールストリートの証券会社は世間から嫌われ、シラーの励ましの言葉が東洋経済に、応用数学はフランス人が多いのか?スニーカー業界の嫌われ者は、私達、それも中途半端な大きさだから。それもどうしようもない、私が中途半端だから。既にドン、キホーテの途中に本を3冊も読んでいる。これでは前に進まない。三歩下がって日本上がる?これ以上日本の円は上がらない。既に私はドルを買っている。日本を脱出。そこらの勘は、あっているはず。何せやることがなくそんなことばかり考えているのだから。
今日は眠たいので続きは明日?一週間にはほど遠い。
投稿情報: 22:22 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
| リブログ (0)
最近のコメント