先日、鬼平犯科帳を見ていると、登場人物が“生き物に決まっているのは死だけである”などと言っていた。その死の中の時間をコントロールするには、時間が何であるのかわからなければならない。そしてボンクラな私は、“時間と宇宙のすべて”(アダム・フランク)を読んで時間とは何かと理解するためにいる。大きく私が想像していた内容と違っているのだが、私はもっと抽象的なものを想像していたのだが、実際はどのように時間が人々の生活の中で時間が、人の感覚、認識が変化してきたかを説明するのである。それは、経済と大きく関係しており、時間の概念を新しく作った人が世の中をリードできるのである。
時間などあまりある様に感じるのは、若いときだけである。もちろん私のようなボンクラではない多くの人々は、若いときから時間の大切さを理解していたのかもしれない。しかし、私は今になりやっと、もしくは少し、残りの人生の時間を気にする様になってきた。もちろん時間を制し、世界を征服してやろうなどとは思わない。しかし、多くの人が思っている様に時間がなく、やりたいことができないのは理解しているつもりである。
世の中を見渡すと、ギリシャの問題、スペインの金融機関はどうなるのか?はてまた、世界の国家主義的経済主義の行き先は?と、どこもかしこも同じ記事ばかりである。仕事にいくとどこもかしこも景気が悪いとの話ばかり。人は同じ話を同じ様にどこでもかしこでも話しているのである。それは時間の無駄ではないだろうか?もう少し面白い話はないのであろうか?
【悲しい話】
岳が終わってしまった。(漫画である)
仕事で企画書ばかりを書いている
モテなくなった。
【楽しい話】
読めていなかった本を読み始めたこと。(理解をしようと努力している。)
眠くなる様になった。
仕事、会社の人がいい人であること。
文化を創る。売り方を作る。それは未来を作る。それは時間を制すると言うことである。これから売れるようになると思う。(多分売れる。)お金ではなく、私は自慢好きだ。商売人は金がないのは首がないのと同じである。“Greedy”
が今年のテーマである。
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