“ブンミおじさんの森”という映画をみた。森に棲むブンミおじさんは、死を目の前に控えており、森の中に、そして人生の中に自分の存在意識を求める。その中で、死んだ妻の登場、精霊になった若者、ブンミおじさんを見つめる、ジェン。(ブンミおじさんの義理の妹)が登場するのであるが、まままた不思議な物語である。
まず人は自然の中に住んでいる、ということを理解しなければいけない。自然の中に生きる人は、自然の力、恐ろしさ、優しさを自分のものとして、または周りのものとしてとり入れるために“トーテム”としての自分を自然の中に映し出す。そこには、自分では解決できない問題、“人はなぜ生きるのか”、“人はなぜ性交をおこなうのか”“快楽とは苦痛とは”(ダーウィンのジレンマ?)という根本の問題提起が存在し、すべての人は平等である。
レビ、ストロースの神話的な原住民の物語、マリノフスキーのフィールドワークの中にもそれらは見てれ、人は死に、そして自然に帰っていくのである。そこには、死を恐れ、死を受け入れなければならない生きとし生けるものの宿命が存在するのである。(人は忘却するが、すべてのものがそんなことを気にしていないように感じるのだが)
人の生活は、昔昔だろうが、今だろうが、根本は変わらない。飯を食べ、排泄し、性交をし、子孫を残し、死んでいく。そこで問題になるのは“死”である。誰もが忌み嫌う、もちろん私も。(スターウオーズのダースベーだ?)人は、自分を愛し、だから人を愛せる。しかし、愛とは?回るものを理解して、同じところに立つ。その円の大きさを広げるべく、生活をする。
書き入れ時なので、靴を売る。
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