マーク・M・ローエンタールの“インテリジェンス”をこの2週間読んでいた。インテリジェンスとは、情報の収集(なぜを含む)、処理と活用、分析、そして誰にどのように配布し、執行、そして反省する。となっているのであるが、人がやはり管理しているものであり、やはり、誰が、どのように使うのか、または、どのような気持ちで使うのか、といったことを例題を交えて書いてある。読めば読むほど、人の判断、基準、そして気持ちが大切なのだと理解する。
同じように“ラストイニング”(中原 裕)の野球マンガにも情報、それの分析、そして心理、執行、その反省。そこにもそれぞれの人の判断が。何事にも人は判断をしなくてはならないのである。そしてそれに対して“フェードバック”を行い進んでいく。そこにはヘーゲル的考えを越える何かが存在するのであろう。では何か?答えがない問題を考えるのだから、質問も存在しない?質問が存在するから、答えはある?
商売にも答えはないのであろうか?
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