これは、ブロックの話しである。前回、フミとマサ(私のガキ)のブロックをネットにのせた。ともにブロックで作ったものである。LEGOはデンマークの会社であり、LAQは、日本の会社が作ったものである。LEGOの商品は、スターウォーズなどのトピックものから、普通に自分で考え組み立てるものまで幅広く、世界中で子供だけでなく大人にも愛されている。同じようにLAQもいろいろなものができる、しかし、基本的なパーツしかなく、想像しながら、組み立てていく。もちろん、“組み立て書“もあるのだが、それだけでは面白くないようで,ガキはいろいろなものをかってに作るのである。
なぜこんなことを書いているのかというと、このLAQというブロックに何か日本人のもとのようなものをみてしまうからである。まず値段は、高い。大きなものを作ろうとすると3万はする。ジグソウパズルのようなブロックは、組み立てるのに時間がかかる。フミ(上のガキ)はLEGOをしたがらない、すぐに終わってしまうので面白くないのだ。(下のガキができない時に、威厳を持って手伝うだけである。)そして考えていけば、いろいろなものができる。これは、マニアしかターゲットにしていないようなブロックである。
日本にある、携帯電話は“ガラケー”と呼ばれている。絵文字もたくさんある。使い切れない機能はたくさんあり、誰が使うのかなどと考えてしまうことがある。しかし、それを使っている人も実際たくさんおり、その機能の輪が存在するのである。それは経済効率から言うととてもよくないことである。一つのものを多くの人に、サムソンのギャラクシーはすでに500万台も売れたという。企業にとってはそうでなければいけない。
一方でみんなが同じ方向に向かうと単純かされた世界史が訪れる。それが良いのか悪いのか。その一見無駄に思えることこそが、文化に厚みを持たせる野である。私は、詩を読む。岡井隆、飯島耕一は一流であるし、朔太郎の静けさは日本の闇を貫く。万葉集は、日本の空と恋と人々の生活を。
スニーカーを集めている人がいる。もちろんこのごろは減ってきた。世の中は不景気である。しかし、そこにはかれらの生活があり、彼らの臭いが漂う。靴の臭いは格別だ。その臭いを好きな人が日本人には多いような気がする。私も子供が生まれ、スニーカー、靴の量を100足ぐらいにはらしたのだが、また増えてきた。困ったものだ。
LEGO
LAQ
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