村上春樹を読み始めたのは、私が中学生の時であったと思う、その頃、東大の生協での売上げのランキングに常に村上春樹の小説が、その時は、“中国行きのスローボート”であったと思う、入りまだ若々しいそれは読みやすい小説であった。常に村上は日本の文学界をリードし、海外でも活躍する。その文体からは想像のできないストックな生活?(実際にはわからない、しかし、メディアにあまりでてこないのでそう思われる)にランニングそれこそ共通するものがあるように思われる。
村上春樹を一段と有名にした小説は、“ノルウェーの森”ではないだろうが?私はこの小説の本の表紙、赤と緑、金の帯、本人はカポーティーをパクったのでは?まさしくレディーメイドなどと感心した。そして社会現象。400万部以上の売った本は、多くの人に読まれ、多くの女の子がその影響で“フェラチオ”をいとわなくなったという。これこそ社会現象である。本自体に卑猥さはないのだが、人と人の理解のあり方、一つの交信手段としての“フェラチオ”という行為を世の中の人が受け入れたのではないのだろうか。
そして、近頃流行る“ランニングブーム”は、村上春樹が“走ることについて語るときに僕の語ること”による影響なのではないだろうか?などと思ってしまう。走る行為を毎日送る村上氏の生活が書かれ、それは彼の思考の一部となり、それは彼の追い求めるものの一部となる。それは、人の本質と関わることであり生ある人類が探し求めるものと一致する。
などと思いつつ時間が無くなってきた。今から、成田。では
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