今、虎ノ門病院の前のスタバにてこの文章を書いている。いつものように、アイスコーヒーのショートをトールのカップに入れてもらい、水で割る。この濃さが私には心地いい。スタバには5000以上の注文の仕方があるそうだ。私には思い浮かばないが。
多くの人が病院に通い、私も同じように月に最低2回はこの虎ノ門病院に来る。もちろん進んできたくなるようなところではない。あまり若い人はいない。多くの人が50歳以上なのではないだろうか?ここでも統計的な数字がある。もちろん若い間は健康を当然のように感じる人が多いのだろう。しかし、一度この病院という“生命、健康の泉”というイメージの中に捉えられると、それを抜け出すことは難しくなる。私もこれ以上からだが壊れないように、病院に来ているのである。そこには、心の一定のアルゴリズムがあるのである。
このごろ世の中は、アルゴリズムである。すべての物がアルゴリズムを無視しては進んでいかない。検索技術、人々の生活パターンも、果てや性的動作でさえ。人は、何がその原因かはわからなくとも、人々のその行動パターンを読むことにより、一定の揺らぎを嗅ぎ分けるのである。その嗅ぎ分ける力が、人生の一つもパートである“儲ける”ということを育むのである。私が言っていることは、私のアルゴリズムを洞察するとわかると思う。
人は寂し、弱い生き物である。私の母は、来週から、この虎ノ門病院に入院である。年に1回から2回入院し、癌と戦っている、その心の揺れは、私にはわからない。そんな物(心)まではわからない、人は自分で感情をコントロールしなければならないのだ。
私の日課は毎朝母に電話をかけること。これも私のアルゴリズムである。
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