志賀直哉の“小僧の神様”を読んだ。短編小説であり、とても読みやすい話である。しかし、時代背景はとても違い、また、人の“粋”な部分も大きく違い、登場人物のAが、小僧にする行為の、Aの気持ちの揺れ、含めてなぜか懐かしくなるのは、僕だけであろうか?
私の父は、保険会社に働いており、幼少の頃、転勤ばかりしていた。特に印象に残っているのは、長崎の思い出で、多くの人が僕をかわいがってくれた。(怒ってくれたことを含めて)今思うと、何か神様のお告げのようなものが、その中にあったのかもしれない。しかし、私には家族があり、幸せに過ごしていたので、それを見過ごしたのであろう。人生とは、その人の生活環境により、細かくいうと、そのときの心の位置により、大きく物事の捉え方が、変わってくるものである。
しかし、変わらないものがある。それが、その物事の本質であり、これを理解するのが学問である。日米の普天間基地問題にことをはっする鳩山さん(首相の資格があるのだろうか?)の発言は、この本質の問題であるのではないだろうか?
現状を理解するのは、とても難しい。なぜならば、すべてのものは、常に変化しているからだ。その変化の“主”となることを確認することが、それを理解することであり、その行為は、常に変化することに対応しなければならないので、否定、が含まれるのであろう。(ヘーゲル的)そして、今回の普天間問題。これは、日本を含めた、アジア、世界の問題である。なぜならば、悲しくも世界は、それほど平和では、ないからだ。(ここで一つ覚えておいてもらいたいのは、私は楽天家である)
上でも書いたように、その環境、そのときの時代での、考え方により、多くの人が影響を受ける。大国、中国、核で脅す北朝鮮、アフガニスタン、パキスタンなど多くの人が死んでいる、傷ついている。それをどのようにするか?それの一つが、沖縄にアメリカ軍の基地をおくことなのでは?私は、現実的であると思う。(スニーカーとは、関係ないが)
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