かつて人々は、同じようにこの地球上にすんでおり、また、同じように個々としての生命体は、生まれ滅びていった。ドナルド、ダーキン曰く、生命とは子孫を残すためにこのように生まれ、滅びていくのである。実際、なぜ生命は、何もせずに死ぬまで生き続けるのであろうか?その中で人は、生きることに何か、特別な意味を持とうとする。その中で、石に何かを求めることは(たぶん石がもっとも簡単に手に入る固くて加工しやすいもの)いろいろな歴史物を見るとわかる。
私には胆石がある。これが尿道に落ち結石になるととても耐えられる物ではない。この度も、3ミリぐらいの物が6つほど尿と一緒にでてきた。腰の鈍痛の後、今回は一番大きいのがはじめに出て、それか順に出てきた。大変にうれしい話である。そして、奈良の石舞台に行き大きな石を、滋賀県の岩間寺、石山寺と先週は、石の関連する物と縁があった。
鉱物とは石を造る。この鉱物は、この産業の発達した世の中ではとても大切である。古代人、もしくは3000年ほど前の人類は、今の人よりも生活環境はもっと自然に近いものであったと思うのだが、思想的に、考え的には何ら変わらない、と思う。その石をこれからの未来人は、宇宙に探しに行くのであろう。古代と未来、それは、宇宙と量子、ヒモから次元へと何か人の気持ちをそわそわさせる、強いて言えば人のはかなさを強調させる何かがある。だから、人は石に霊が宿ると信じるのであろう。
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