友とはどのような時に使い、どの湯女ときに使えないのだろうか? もちろん人にはそれぞれの経験があり、その人のこれまでの生活で言葉の意味が違うのは仕方がないのだろう。しかし、その言葉の差異に関わらず、一つの言葉のコンセプトが必要なのではないだろうか? また、多くの人が友人は多くいた方がいいと思っているのではないだろうか?しかし、私は知り合いをなるべく造らないように(もしくはつけれない)している。
友人とは困った時に助けてくれる人のことを私は、言う。これが多くの人の友人のコンセプトではないだろうか?しかし、そのような人を見つけるのはとても難しい。ただ知るだけではなく、その人の生理的なことも理解しなければならない。それは、メモを取りながら、知識を獲るのと似ている。一度書籍を読んでも身に付かないのと同じである。そこには、時間、気持ちすべてのものが入り込まなければならないのである。そのことが友をもつということである。
同じようなことが商売にも言うことが言える。新聞では不況だ、不況だと言っている。しかし、儲かっている会社もあり、また、規模を拡大している会社もあるのである。その会社とは、世の中(経済、政治、文化)と友達(友人)になっているのである。そこのところに時間を割き、まじめに理解をしようとするのである。店の感じ一つにしてもそのような会社の店舗は違うのである。
私も世の中と対話をしようと思っている。努力している。しかし、わからないのである。だから、店舗の感じが今ひとつなのであろう。そんな私が、友人をこれ以上増やせるのか?それが、私が友を造らな二理由である。造ろうともでいないのである。栄える、その栄えるを友とし友となす。栄である。それをもって友となす。もちろん、栄えといってもいろいろあるのだが。
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