般若心経を広めるにあたり、文字を読めない人々に絵文字で表していた、過去。多くの人々が文字を読むことができずに、人生を過ごしていたのである。もちろん紙自体もほとんどなく、文字が必要ではなかった、時代には、私たちが今使っている時間を文字を読むこと以外に、何を行い、何を思い、生活していたのだろうか?
過去を知ることは難しい。その時代の流れがあり、その時代の背景があり、そしてそれを基にした人々の生活がある。日本の中世史を時間がある時に、ペラペラと読むと(主に網野氏や五味氏など)まったく今の世の中と違う世界観、価値観があり、理解するのに(もしくは理解したように感じるまでに)多くの時間がかかる。世の中の“雰囲気”を型作るものとはなにであるのだろうか?(私は見えないものであると思っているが、ここでは長くなるので省略する)
現在のスニーカー市場を見ていても、その雰囲気を理解するのが難しい。ナショナルブランドの価値館の喪失が、いちじるしいと思われる。しかし、それが世の中のせいなのか、人々の思考、価値館が変わったせいなのかわからないのだが、現時点での市場は、ナショナルブランドの価値喪失を認めている。(新聞の記事によるとナイキの日本での売り上げは14%の減、すなわち140億の減である)
だからと言って売れないという訳でもない。多くの人が靴を買っているのである。もちろん生活必需品としての需要もあるのだが、そうでもない点もある。たとえば、若者はHICUTの物ばかり、COLORは黒ばかりである。しかし、ナショナルブランドばかりではないということである。これまでの予想がはずれてばかりなのである。
今までに15年以上スニーカー、靴を扱って飯を食ってきたが、過去を知っていたことが、もしくは知ることが、これほど世の中のスニーカーの市場を知ることの役に立たない時はない。まさしく面白い時代になってきた。まずは、時代に乗ること。本日も商売しよう。
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