博物学 自然物、すなわち動物、植物、鉱物の種類、分布、性質、
(natural histoly) 生態等の記載を主とする学問。東洋でも西洋でも自然に関
する最も古い学問の1つ。近代以降、しばしば物理学の意
味におけるnatural philosophyと対立する語であった。
そして著者はこの2つの(historyとphilosophy)は入り混じってしまったと思えると。そして現在、動物的、植物的、個人的、集団的、あるいは国家的、どういう論理で組み立てられているのかを知る。論理の間には、どっちが進んでいるとか遅れているとかというのはない。(これは、ローレンスの中にも述べられている)
アプリオ(a priori)全ての経験に先立つ
この考えは、前成性の考えである。
これは、すべての生物は、リリーサーを持っているのである。これは、フロイトのエスの考えにも通じるものがある。
ア・ポステリオ(経験により)形成
この考えは、後成性の考えである。これは、かなり現代的である。進歩的というのであろうか?
著者自身解らないのである。いや、読み進めると答えが出てくるのである。個々の個体は、アプリオ的であり、生物を種として考えるとア ポリテリオ的である。しかし、ここで一番大切なのは、(個々の例を検証しながら考えると)
どの生物も、それなりに楽しく生きており、またそれなりに苦労しながら生きている。ということである。
さらに1歩進めると著者は(もしくははじめの問題、博物学とは?)という問題に戻ると、博物学(natural history)とnatural philosophyの融合は、生物は観察の中にこそ実在を知りえ、またその生物の「種」を比較することにより主題を知るヒントを見つける事が出来るのである。
種とはそれ1つがシステムであり、その個々の部分の働きしか論じることが出来ない。これは「機能」つまり「役割」を知る、動物の世界、植物の世界、全生物の世界の1つのベクトルの上での進歩あるいは停滞ではなくパターンの違いを知るということであり、 コミュニケーションの違いでるのである。
なぜこんなことを書いているのか?と多くの人が思っているのだろう。
しかし、こんなことが役に立つのである。スニーカーを売るにも奥が深い。その奥には、すべてが1つのものにもしくは無限のものに続くのである。
1と2の間には、いっぱいの数が。1と5の間にもいっぱい。
どっちが"いっぱい"わからないから、ガキが言った。
「無題」
私は救われた。
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