人間はどういう動物か(この本がランダムハウスからのシリーズの最終艦である)
常に日高氏は、生物学をもしくはすべての学門において、体系的にと行動的(実際の現実)に沿った研究を続けている。それが現実の世の中の流れに沿っているのか、沿っていないのかは別にして私にとって、とても面白いものである。そして、この巻においては、人間というものを取り上げている。
動物と行動学とは動物のしくみ、機能、発達、進化を研究するものである。そしてその事を調べる事が「人間を理解する」ということである。その事を一つの基本(ベースに)いろいろな考えをつけていくのである。、
そのことが、具体的な例とともに書かれているのであるが、いくつかの面白いと思ったことをまとめてみた。
生物は、個体の適応度増大こそが目標であって、そのためにはどれほど利口的にふるまってもよい、ということを原則とする生物界の実態について、いつも大きく見逃されていることがある。それは「コスト・ベネフィット」計算のこと。(これは日高氏も言っているように経営学にもつながるところがある。)
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経営学の考え方「動物におけるディシジョン・メイキング」
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しかし、ドーキンスの打ち出した「ミーム(meme)」の問題がある。要するに「遺伝子(gene)」ではなくて、その人の「名」、「存在」、「業績」、「生き方」、「生きがい」を後世に残したがると。
そして大切な事は、ミームが人間の遺伝子的なものに組み込まれているのか?ということである。
そこには、今の人間、生物にはわからない多くのことが隠されているのであろう。まさしく、ローレンスの考えが、修正されていくように。しかし、私が感じるのは
1,生きている(死んでいる)ということ
2,真理はない
ということを本当の意味において理解することが大切なのではないだろうか。これは、私が感じた、1と2に反しているのだろうが。
スニーカーの商売をやっていても、いろいろ考えることがある。多くのお店が、大き
な資本の靴屋チェーンにシェアを取られ廃業などということになっている。しかし、
生物学的に言うとそこに隙間が生まれ、そこに小さいお店でも生きる余地が生まれて
くる。そこには、生きるという限りない努力が必要である。その努力なくして生き残
ることはできないのかもしれない。 (GSEの問題でも多くの人がいろいろ言ってい
るが、競争の中にこそ生きる必要が生まれてくるのであろう)
生きるということは、楽しくもあり、苦しくもあるのである。なにせ、生きるという
のは利己的であるのだから。
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