東山魁夷
東山魁夷展を見に行ってきた。そこにはおおくの見学者と、時代、テーマごとに分かれている作品が所狭しと、展示されている。 私的には、彼の作品を見て彼の成長とそのテーマを越えられない人の限界を見てとれるのである。
まず彼の作品は、自然からのがれることができないのである。山、海、空、太陽、四季といったものから逃れることができない。それによって色も、緑、水色(くすむ)、青(これもくすむ)赤、オレンジ、そして白など。そこには、自然を表わす象徴としてのイメージがふんだんに取り込まれている。それは、人、生きとし生きる者はすべて死ねということをはっきりとあらわしている。(これが彼のよさでもあるのだが)
そして、彼は時代とともに人、彼自身も死ぬということを理解しているように感じる。後期の作品は、より単純に、自然自体を素直に描いている。(しかし、中期の作品は、シンボリズムの様相を抜け出すことができない。若さの力を感じる。)だからと言って、次第に力がなくなったのではない。時代によって彼が成長、もしくは後退したのである。
彼は、彼の作品に対して、常に飽くなきものを求めている。そしてそれは求められない。そんな人生に彼はなにを見たのだろうか?たぶん仏であろう。などと思いお釈迦様の顔を求める。
すみません。スニーカーを違う話ばかりで。
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