言葉の差異を理解すること
新自由主義者の使う”変化”という言葉の意味と、オバマの使う”変化”の意味の差異を理解したいと思い、オバマの本を買ったのはいいがまだ読めていない。Chapterにおいてスニーカーを売るのには、そんなことは関係ないのだろうが、とりあえず私自身とても興味がある。この個人の使う”言葉”には人それぞれバイアスがかかっている。人の認識、経験により多くのものが多少の差異をもって私たちの周りに飛び交うのである。
とりあえず、少し。もし、新自由主義者のいう”変化”ならば、今のままアメリカの政治体制、経済体制は変わらないであろう。しかし、もしオバマの”変化”の意味が違うのならば、(デモクラツの政策からすると)違ってくるのではないだろうか?その言葉”差異”を理解することが相手を理解することにおいて大切である。しいて言えば、未来を予測することである。もちろん、クリントンにしろオバマにしろ、大統領になるのは困難が多いだろう。もしかしたら、マケインになるのではないだろうか?(未来は、人の認識は、すぐに変わらない)
言葉の差異とはすなわち、認識の差異である。わたしたちの認識はどこに、どのように向い、どこから来たのだろうか?そんなことを考えると自分の認識のなさを悲しく思う。その悲しさが、下半身に来ている。これは重症である。(何か切羽詰まると、私は腹の下から何かがペニスに向かって向かっていくような感じになってくる)私は、死ぬという認識を最近感じるようになってきた。
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