愛するということ スティグレール
フランスの哲学者である、スティグレールの”愛するということ”は、自分とわれわれの関係の危機がこの消費社会の中において、訪れているといっている。私は、自己を愛する(ナルシシズム)のなかで、われわれ(自分を含めた他者)との違いを認識する。そして、その過程の中において個とは、存在を確認できるのである。しかし、その状況が、消費社会において単一化され、”みんな”という自己の喪失が起こるのである。
消費社会とは、何なのだろうか?スニーカーを販売すれとは、どのようなことなのだろう?もし、すべての人が消費のマーケティングによる商品を選んだのなら、どのようなことがおこるのだろうか?そこには、個人、もしくは”われわれ”としてのものを選ぶという行為は、なくなるのではないだろうか? ハイデッガーの存在に通じる自己の喪失である。
Chapterもこの消費社会に生きている。その存在価値とは?などと考えると”なし”ではないかと思ったりもするのだが、それだけでもない”何か”があると私は、考えている。日々考えることによって私は、私を愛し他者の存在を認める。
と、どうでもいいようなことを私は、考えながらChapterを運営している。
コメント