何か 欲しいスニーカーある?
これだけ物が、世の中に溢れているとほしいスニーカーなどないのだろう。スニーカーの値段も、あってないようなものであり、発売一週間もすると1-2割は当たり前と、値を引いて発売される。特に、大手のスニーカーチェーンの値引きと、大手のナショナルブランドは、どうにもならないぐらいの値引きである。ベーシックモデルの値引きは、それらのナショナルブランドの息の根を止めているような感までさせる。
私は、それが文化に根ざすものならば、かまわないと思う。どういう事かというと、それがスニーカーをはかなくてもいいようなところの人が、あえてスニーカーを購買しない。それは、その人たちの生活は、物に多くを支配されていない。ということである。しかし、都市での生活している人には、それは当てはまらないのではないのだろうか?そこには、物が余りすぎて物自体に興味を表わせなくなっているように感じられる。物があるのがあたりまえで、ただそれを消費しているのだ。 だから、メーカーもただ単に、値引きで対処するに過ぎない。
しかし、海外に目を向けると、多くの若者が、スニーカー、新しい物を欲しがっている。そこには、何か力強いものを感じる。国の力とは、汗の中に含まれる塩の量で表わせるのではないだろうか?中上健二の小説の土方の話、監獄での塩の量のコントロール。塩分が足りない汗をかく国民は消滅するのではないだろうか?
私は?物欲はある。知識欲もある。しかし、毎日冷や汗しかかかない。果てまた、消滅だ。助けてくれーと叫んでも、いや叫んではいけないのだ。私は、ドンキホーテだったけ?どんなスニーカーを履こうか?ドンキトーテは、おしゃれである。
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