1990年制デッドストック、赤ベースのローカット。スニーカーを選ぶ基準とは何だろう。色、形、履き心地、人気、あわせやすさ(似合うかどうか)、希少性(コレクション)、等があげられる。これらの価値観は飽和している。そこで、今まで無かった価値観をスニーカーに付与できないものだろうか。それは人の欲望を刺激するものでなくては商売として意味が無い。スニーカーブームの時代は、投機としての価値があった。値段が上がったり下がったりすれば単純に面白い。儲かるとわかれば、必死に探したりもする。そのエネルギーがスニーカーの世界を覆い、幻想という夢をもたらした。夢から覚めたスニーカー世界で、また新たに幻想の甘い夢を見るためには、無意識の底から湧き上がる新たな価値観(エネルギー)を生み出さなければならない。例えばスニーカーでエロティシィズムを表現できたら面白い。芸術的要素(例えば漆工芸、蒔絵のようなもの、版画、刺青等の伝統文化)、創作的要素(彫刻、ペイント、プラモデル(パーツ交換)等)履くこと以外の価値を創造できたら、コレクションとしての新たな世界がひろがる。コレクターのいないジャンルには実用性以外の価値は無い。夢想は尽きない。
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