花のあったおば
1月2日におばが、亡くなった。 私にとっては、花のあるおばであった。 私が、日赤病院より退院して、おばのところに言ったのは、9月だった。 私の健康を気にしてくれ、やせた私を見て怒りさえもしていた。 私は、48KGしかなく、80歳近いおばは、80KGあった。 混ぜご飯を作ってもらった。
私が長崎に住んでいる時に遊びにもきてくれた。当時から大きかったおばを、私は後ろから、押しながら坂をあがった。 私の母にとっては、母のようなおばであり、私にとってもいい思い出しかない。いつも私たち家族の心配をしてくれていた。
9月に行ったときに、私は、温泉に一緒に行こうと約束したのにいくことができなかった。 また、私は約束を破った。 私の病気のせいである。今年は、体をもっとよきしなければ。笑顔も約束もなくなってしまう。
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