私は、アメリカのフィラデルフィアに住んでいた。カレッジバスケが好きで、イーグルスの好きなぼちぼち勉強を大学でしていた。どうしても勉強は、語学のハンディーがあり、数学で点を取らなければ成績が上がらず、スカラシップもなんとか半分しかとれない冴えない人間であった。しかし、友達は多くうまく世の中を渡り歩いていた。(成績と人間関係の善し悪しは大きく異なる)多くのアメリカに移民としてきていた韓国の友達も多くいた。だから、私はその伝を使い、商社を辞めてからスニーカーを扱いだした。そんな訳で、私は、アメリカのブランドのナイキを中心に扱っていたのである。
その影響は今でも続いており、ナイキが売れると私の会社の利益が上がるのである。もちろん売り上げも。今年に入り、ナイキの売り上げは目に見えて上がっている。もちろん商品によって、売れる、売れないがあるのだが、とにかく昨年と比べて売れうる幅が広がり、我が社の売りあげも顕著にのびている。そして次の戦力を練る。しかし、まじめにやればやるほど自分の時間がなくなってくる。本当に朝の4時から5時半の時間がゆっくり自分のための時間となってくる。(寝る時間を増やそうとするとそれすらなくなってしまう)
本当に助かるのは、何もせずに売れるスニーカーが発売されることである。Sどれを解消するには、ナイキに注文。“売れるスニーカーを作ってください。”(祈り)そして、(調子がいいのが私の取り柄)すなわち、成績と人間関係の善し悪しは、関係ないのである。
人の知覚システムは、時間と環境により影響を受ける。重力により人は定位を安定させているように思われるが、それさえも確かではない。商売においても同じことが言えるのである。定位とはないのである。常に移動し、その状況により変わってくるのである。それは、歴史的文学の必需品“無情”なのである。すべてが同じ感情を抱き、同じように不可解に人々の生活の中に埋め込まれるのである。その感情をどのように理解するのかが人により異なり、人の生活、生き方を決めていくのである。
今日は東京の空が青い。
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