ヨーロッパ、アメリカ、そして世界中が注目する、ギリシャ。この国をどのようにすれば良いのか?多くの経済学者は、日夜考えている。しかし、現実とは、選択とは1つ(これは人生が1回であるのと同じである。)であり、誰かが決めなければならない問題である。
ギリシャという国に行ったことのない私は、あくまでも想像でそこの風土、人々の生活を考えなければいけないのだが、基本的にはおおらかで、人生を楽しんでいる人が多いのではないだろうか?本日のMJの伊藤氏のコラムには、若い海外で勉強した経済学者、政治家が、多くの経済的な決まりを作り、多くの人に指示する環境は、うまくいかないのではないか?と生活的な視点で述べている。
日経ではもう少し、全体的な視点で論を述べている。ギリシャを助け、ヨーロッパの銀行を救う。資本の投下である。誰がどのくらいギリシャの国債を持ち、どのくらいの損失を抱えているのか?これは比較的にすぐわかるはずだ。(すでにデクシア銀行の名が出ている)銀行の信用を守るためにそれらに。資本の投入しなければならない。(他の国に影響しないように)
ECからの離脱。どのような手続きをするのか?デフォルトさせる。そんな多くの意見が出ているのだが、面白いのは本日の日経のドラロジエール氏のコメント“注意すべきなのはこれらの案を出している人は、それらを決定する当事者でもなく、資金を出すでもないということだ”と言う所だ。商売には誰か責任を取らなければいけない人が存在するのである。
08年は、リーマンが潰れ、十字を背負った。今回も、ギリシャは?
私のような小さい商売をしていても、誰も責任を負うことを好まない。(これはもちろんのことなのかもしれないが)しかし、それでは会社は大きくならない。他者のメーカーも言うことは言うが、責任はとらない。ならば、私は厳しく、思ったようにするしかないのかもしれない。しかし、弊社は私がいる限りデフォルトしない。何せ、適当だから。しかし、それが問題であるのも私はわかる。どのようにするべきか?
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