人の生活と国家/政治の役割/現代という、劇場的な世の中において、アカンベンは、例外状態/剥き出しの生、などといくキーワードを使い人の幸せを問うているのである。この一冊を読む限りにおいては、彼の思想は前向きであり、しかし、終わりのない問答のようである。もちろん私達は、知っている。私達の人生こそは問答しても、答えのない生であるのである。
しかし、生きとし生きる物は、子孫を残そうと努力し、そして実際に生殖して、種を残すのである。それは私達に知能があるからでも、私達が高度な組織をもっていうからでもなく、自然という名の“前向きに生きる”なかに存在している上での必然性なのである。
一方で、人類の歴史は高度に組織化され、国家/権力/民主主義/共産主義/などの諸々の、一見高度に見える仕組みのなかで、人は生を“剥き出しの生”rとしてどこにも属さぬ“宙刷り”のなかで生きなければならない。————と続きのであるが、私自身はもう少しまじめに“商売を”と反省しながら、クレジオの“調書”のアダムの生活の仕方をうらやましく思い、涙が出そうになる。
私は本当にダメな人間なのである。しかし、人生とは短く儚い。だから、私は無駄を。すべてのは死んでいく。後ろがあるから、前がある。
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