年が新しくなったが、チャプターは原宿店と新宿ルミネはオープンしており、私も朝の8時半頃から近くのナチュラルローソンに行き、コービーを飲み10時に会社に行く、ほとんど何も変わらない生活を送る。しかし、少し違うのは昼間に人と会うことがないので(多くの人は休み中)、本を昼間の間に読むことができるのである。
本を読むのも自己満足でしかないとは思うのだが、時には自分の人生の道程になるのである。また、新しい発想を私に思い起こしさせてくれるのである。今読んでいるピンチョンの“スローラーナー”の解説文の中のピンチョンがなぜ理系なのかなどというくだりは私には思いもよらなかった。そこには私に物ごとを大きく考えるようにと促す反省を含む意味が散在する。それを広く自分の生き方に取り入れ、少しずつでもましな物にするように努めるのである。北斎のいう、絵画の理解、物の捉え方には自分の時間をどのくらい使ったのかに比例する、のであろう。同じことがすべての人に言えるのだろう。
世の中が変わるわけではないのだが、私にとっては、循環小数を分数にした時にどちらが美しいのかなどと考えてしまう癖がある。0,123123の循環小数を分数に表す。X=0.123123であり、1000倍にし、分数にする、それは言葉を選ぶのとは違うのだが、その文脈にあった美しさがある。それはソシュール的で言語的な分解なのか?それともタダの気のせい。世の中に意味があるのか?すべての賢者が同じところに向かっていく。賢者の行進である。どのような音楽なのであろうか。音のハーモニーは、やはり数。
今年もたくさんスニーカーを売ろう。たくさんも数。そして売るためには、スローラーナーなのかもしれない。私は、今年も調子がいい。何せ日々同じように生きているから。今年も宜しくお願いします。
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