バーバの“文化の場所 ポストコンロニアリズムの位相”である。まずは、難解である。私の知識、それはこの問題に興味のなる人の共通知識—常識、を知らないのである。その常識を自分の中で消化、理解、そして自分の位置を確立?するには時間と努力が必要である。それは、息を止めて海の中を彷徨する生き物である。いくら時間があっても、努力しても得られない物が世の中にある。しかし、読み進める。
まずは、“ポスト”とは?“越えた”ところに位置する。それはどういったことであるのだろうか?例えば、人は国際的な意識を持ち、今まで属していた物を置き去りにし、新しい生活環境を受け入れていく。しかし、越えようとするとそこにはやはり、今までと同じ土着した“今までの生活”が存在するのだ。新しい意識、生活スタイルを取り入れようとも、そこには常に今までの生活が混在、それを受け入れずには前に進めることができないのである。その差異を理解し、そこに存在することが新しい世の中の思想になっていくのである。
とやや乱暴であるが読んでいる。ポストコロニアリズムと言えば、サイードであり、そこにはイスラエルがあり、大江健三郎の愛媛の山奥“ギーじいさん?”へ進む思想的つながり。この世と土着した者へと繋がっているのである。また、世の中の政治、ヒトラーの思想とその暴走、人の愚かさを理解するにはとても大切なことである。人は“考えない葦である。”それは、その裂け目を理解することは、多くの人にとって難しいと言うことを意味しているのである。
人は“知行合一”などというが、とても難しい。それは知識にしてもおなじである。などと思いつつ読んでいる。
コメント