遠野物語を読んでいる。読んでいるほど進んではいないのだが、柳田国男、折口、本居と何か日本的な泥臭さを感じる。そういった意味において、中沢氏との違いがわかるのではないだろうか?私は、日本人であり、地球人である。そういった意味で、私は前者の日本人であり、泥臭い。それは死ぬまで変わらないのではないだろうか?
私の家には、ガキが2人いる。もうすでに朝の7時であるのに寝ている。いつもは6時半から公文をやっているのだが。先日、ガキが宇宙人の話しをした。“宇宙人はどこにいるのか?”というのが彼らの疑問である。もちろん私は知らない。ここからが問題だ。もし捕まえたら、もしくは友達になったら。(殺されるなどというネガティブな考えは前に進まないのでやめる)はじめは、“テレビに出たら有名になる”などといっていたのだが。もちろん莫大な出演料が入るだろう。しかし、それが人生にとり良いことなのだろうか?
ビジョナリ−カンパニーには、一発逆転の追求は悪いことだと書いてある。同じようにいくらお金を稼げても、宇宙人が来たら、家族の一員として、普通の生活を続ける。それが今の私の答えである。同じように商売も日々同じように続ける。派手さはないが、それが近道である。
前回伊勢丹でやったことを今回は、吉祥寺、パルコで少し変形させてやっている。地道にどのような物がお客様に求められているのか、探っている。
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