七五三に明治神宮へ行った。そして、ここに来ている多くの若者、子供の未来を幸多くあれと祈るのである。もちろん多くの子供は、私の人生と未来においてすれ違うこともないであろう。しかし、祈らなければならない義務を、大人達は持ち、それに対して何もできない人の性、私の性を感じるのである。
私の上のガキは小学校一年生、七歳である。下のガキは幼稚園の5歳である。どこにでもいる、しかし私達にとって大切な、どこの親が感じるような子供である。ポケモンに興味があり、ゲームをしたがるまさしくガキである。学校ではゆとり教育なのか、何かを習いにいくというよりは、給食を食べにいっているのかもしれない。それで良いのかもしれないが、それでは困ると思うのが、どこの親でも感じることなのではないだろうか?
弊社にも多くの若者が働いている。しかし、夢のある人は本当に少ない。もしくは、夢の見方を知らないのである。例えば、世界の広さを、世界の狭さを知らない。常識のレベルが低い。(私もそうであるが)そして、その低さを克服しようと日夜努力しようともしていない。もしくは、それさえも知らない。それは、親のせいでもあると思う。そうなると、人は神や仏にすがるしかなくなっていくしかないのである。
夏目漱石が言うように、“神も仏もなく、向こう三軒がある”だけなのである。新聞にこれからの日本の記事が載っているが、教育なくして日本の未来なし。また、その教育には、競争なくしてとなる。(種の起原のような)果たしてどのようになるのだろうか?私は、歳なので神や仏に祈るしかない。悲しい人生である。
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