先日大阪に行った時に、ついでに高野山に行ってきた。朝、8時ごろに大阪、難波をでると、南海線にて、極楽駅まで行き、そこからケーブルカーにて5−6分高野山の駅に着く。今の人にとってそこまで行くのは、そんなに難しいことではない。しかし、空海のいた時代にそこまで行くのはどのようなことなのだろうか。今と違った意味合いを持つのであろう。ここは、88カ所巡りの最終地点であり、街全体がすべて仏のお膝元、結界の張られている場所である。などといろいろな説明をいうことはできる。しかし、私が感じた高野山の印象とは、以下のようなことである。
朝の6時から宿望では、講堂にて朝のお勤めがある。その中で思うこと。はじめは、溝口の“安寿と厨子王”の映画を思って、お経を聞いていた。人生とは、また現代とは、または1950年代とはなどと。しかし、長く聞いていると何も考えなくなる。山に“ぼーっと”登っているような感じである。そして、ふと、“人生とはいつかは終わる”などと考える。その中で人は生きなければならない。多くのものを捨て、すべてのものをすくいとることはできない。浜辺で砂を手に取りその砂が指の間から転がるように落ちる。その残り砂。それが人生の意味合いなのでは。
商売をやっていてもすべてを取ることはできない。私の商売も残り砂。しかし、その残り砂に意味合いがある。私は、商売を通じて多くの人と会う。そこに人生の楽しみを見つける。人生とは?などと考えるべきではないのかもしれないが、高野山に行きより一層考える。
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