先日、伊藤計カク氏の“虐殺器官”というSFなのか、現実なのか、それとも近未来なのか、なかなか時代を測定するのが難しい本を読んだ。そこでもっとも意識しなくてはいけないのは、飛躍的なテクノロジーの進歩である。もちろん、本の中の話しなのですべてがそうなるとは思われないのだが、実際に現実の世の中でのテクノロジーの進歩が、人々の生活、今までの経済の仕組みを大きく変えているのである。
今までの経済理論が通用しないことが、多く起っている。例えば、先進国の長期金利の低下、(日本などは、1%台である。小沢氏の立候補前には、1%を割っていた)アメリカでも同じように低い。しかし、失業率は高止まりである。これは今までのフィリップ曲線の理論から逸脱している。また、不思議なことにデルレ下での成長もあり得ると日本の経済(2002−07)は証明している。これらは“なぜ起るのか?”
一つの解は、“テクノロジー、情報手段”の飛躍的な進歩によるものである。後進国が資本経済に参入することにより、一つ国としての経済として、経済を捉えることが難しくなっているのである。そして、成長の輸出が始まるのである。特に、BRIC’s成長が、先進国の成長の“仕組み、構造”を大きく変えているのである。
同じように、人々のスニーカーに対する、意識も大きく変わり始めているのである。例えば、かつては“スニーカーとは?”そのもののデザインが重要であった。しかし、今の傾向は、もちろんスニーカーのデザインも大切であるが、“そのスニーカーを使い、何かをする自分“が重要なのである。人々は、自分に投資しているのである。それは、”健康“”美容“といったものである。
そうなってくると、スニーカーの価値を決める基準が、今までの基準と大きく変わってしますのである。そのビジネスモデルを、どのように探すのかが、私の商売には大切であり、“肝”なのである。これは、中国人がかつての日本人のようにスニ−カーそのものに固執して買っていくのを見るにつけ、日本人の価値感の違いを本当に感じる。
しかし、本当のスニーカー(靴)業界とは、履物としての、すなわち、日常品での価値である。そこに興味がないのが私で、馬鹿なことばかりやろうとする自分を感じるのである。
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