先日は、ナイキからチケットをもらい、ラジオ ミュージック ホールのイベントに行った。構成は2部。前半は、USAバスケットチームのデモ試合。そして後半は、Jay Zのコンサートであった。話しとしては、JAY Zのコンサートに行った、という方が多くの私の周りの人は喜ぶのだが、私はUSAチームの試合の方がおもしろかった。
まず、JAY Zが歌っている歌詞がわからない、そして話していることもわからない。そして、なぜWBFにJAY Zなのかがわからない。(もちろん多くの人が喜ぶからだろう。そして、今回JAY-ZのデザインしたAF Iをオークション(ドネーション)で売るからだろう。)しかし、噂では3億円の金額をナイキはJAY-Zのイベントに出費しているとのこと。それならば、もう少し面白い企画をナイキならば考えられると思うのだが。解がナイキらしくないような気がする。
一方で、USAチームのバスケットの試合は、単純によかった。試合自体はそれほどいい試合ではなかったが、それでもアメリカぽい。私がアメリカに住んでいた時は、カレッジ バスケットの試合をどんなことがあっても見に行っていた。当時、テンプルにはエディー ジョーンズ(後レーカーズなどで活躍)とマッキー(後76er’s)がおり、強かった。最終はトーナメントでベスト8までいった。私は、205−1という最前列のど真ん中のシートをシーズンとうして持っていた。試合中のスニーカーと床の擦れる“キューーーキュ”という音。それが好きだった。まさしく、バスケットの音。スニーカーと床の擦れる音。たまらなくいい。
また、アメリカ人の多くは、NBAの選手になる前から知っており、それぞれファンがいて、地域のチームを応援し、人生を過ごしている。日本でいえば高校野球からプロ野球といったところだ。しかし、日本と違うところは、日本人は、日本の野球を捨てて、メジャーに来る。なぜならば、メジャーが野球の頂点だと知っているからである。そして、アメリカ人は、アメリカのバスケットが世界の頂点だと知っているので、そこでシノギを削る。それを知るファンはそんな選手を愛し、チームを愛する。(もちろん日本でもそういった傾向はあるのだろうが、私は阪神しかそのような傾向を見ることができない)
そして、またJAY-Zである。私は、ラップは黒人の音楽だと思う。ゴスペルから始まる、あの悲しい、そして美しい。それは、北極星を目指して走る夜明けの希望とこれから来る不安との混在する心の動き。人の持つ希望と不安。ナイキとはスポーツをする人のそんな心の動きを映し出すブランドになってもらいたい。
画像汚くてすみません
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