ピンチョンの“メイソン ディクソン”が発売になった。これから、12年までにかけてピンチョンの全集が発売になる。上下で7000円もし、とても高いのであるが選択肢がない消費者は買わなければならないのである。原文で読もうにも並大抵ではない。また、私は今平行して、ジョイスの“若き芸術家の肖像”を丸谷さんの訳と原文を比べながら読むが、日本語がなくてはチンプンカンプンである。しかし、言葉による遊びは原文に勝ものはないのでは?と思うので少しずつ読んでいる。犬はなくのである。DOOOOOOGである。
ピンチョンの作品は、とても風刺的であり、知的であり、そこには笑いと悲しさ、ユーモアーがある。江戸の浮世絵は、岩佐又兵衛から始まったと言われているが、この国宝である“山中常磐絵巻”は残酷である。それは作者、又兵衛のお生い立ちによるのであろう。戦国武将の荒木の子供として生まれ、一族の死を体験したからこそその様な絵巻がかけたのであろうが、同時にこれが浮世絵に結びついていくのである。そこには、江戸の中世の文化の中心としての、笑いとユーモアーが溢れ出る一つの型を作っていくのである。
これだけわからないことを並べて、何が言いたいのかというと、江戸文化からの系譜と、“メイソン ディクソン”が似ているように感じられてならないのである。たぶんピンチョンは意識して書いてはいないのだろうが、東海道膝栗毛のようでもある。そこには、ジョイスのフィネガンズの中にでる“月とスッポン”(?)説もあるので何とも言いがたいのであるが。
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